ジャンル:東方Project お題:せつない猫 制限時間:30分 読者:377 人 文字数:1972字 お気に入り:0人

瞬間

 恨みがましい気分を抱いたのは確かだった。だが、それよりも寂しいと思う気分の方が強かった。
 雨は強かった。雨自体は、さほど気にならない。全く気にならないわけではない。それは、屋敷の中で暮らした猫だからだろう。
 ああ、足が折れてしまったのだなと思った。それ自体は、仕方の無いことだと思った。猫なんてものは、そんなものだ。当てもなくふらついて、どこかであっけなく死んでしまう。皆、そうやって死んできた。気が付けば集会に来なくなっていた。来なくなれば、すぐに忘れてしまう。
 俯瞰的な気分で己を見られたのは、彼が飼い猫だったからだろうか、主が、よほど賢かったからだろうか。
 ある日から、酷く体調が悪かった。なぜなのかはわからない。病について理解できる程には、猫は賢くない。いつものように出かけ、帰れる気がしなかった。しばらくの間、寝込むしか出来なかった――随分と鼠を多く見ていた。鼠を食うことで、些かは体力も取り戻せたのだろうか。
 それでも、我が家に帰るのは一苦労などという言葉で表せる物では無かった。そして、我が家に帰り。
――知りませんよ、こんな猫は。
 主に投げかけられた言葉を思い出した。その口ぶりは激昂とはほど遠かった。阿求が激昂する姿など、誰一人見たことは無いだろう。阿求自身ですら。さりとて、静かな口調だからこそ、主が怒っているとはわかった。なぜなら、彼女が怒りを感じるときは、いつも静かだからだ。言葉は端的になるからだ。
 拒絶と共に、彼は屋敷を後にした。里を出て、当てもなく彷徨い、気が付けば足が折れていた。
――嫌だな
 思った。何に対してなのか、咄嗟にはわからなかった。死んでしまうことかもしれない。それは嫌だった。だけれど、最後の言葉に交わした言葉はそれ以上に嫌だった。
 体中から力が抜けていく気がした。足が折れたからだろうか。周囲には誰もいなかった。見えなかったし、音も聞こえなかった。いや、いたのかもしれない。いずれにしても、彼にはもう何もわからなかった。視界は消え、音はもう聞こえない。心臓の音も聞こえなくなった。耳のせいではない、心臓が、鼓動を止めたのだ。
 鳥や獣がやってきた。彼の肉は、一瞬で消え失せた。



「さとり様。随分とものを言いたそうな怨霊がいまして」
 お燐はその亡霊の首根っこを掴まえていた。紫色の燐光を放つ球に首があるかはさておき――彼女は、そのように認識していた。
「訴えたいことが溜まっているから怨霊になるのでしょう? 怨霊はみな、そのようなものですよ」
「そりゃあそうなんですがね。でも、こいつは猫の怨霊ですよ。同類哀れむ。ちょいと、話を聞いてくれませんかね」
「怨霊の話を聞いても、大抵は気分が優れなくなるものよ」
さとりは溜め息を付いた。
「……もっとも、何かを意識する必要もないのだけれど、あの子には、可愛そうなことをしたわね」
「あの子?」
「稗田のお嬢さんよ。飼っていた黒猫が家出をしたって話で……こちらにまで探して欲しいってきていたけれど、この怨霊が彼女の飼い猫よ」
「ふへえ。ああ……そいつは厳しい話ですねえ。ま、私たちには日常ですが、あのお嬢さんには、もう無理でしょう? ずいぶんと前から猫を飼っていたはずだ。お前さんも寿命ってところかもしれない……だけど、あの子もおいおい寿命だ。子猫の一生を見守るなんて出来ないだろうなあ」
 怨霊は怒りを覚えた。さりとて、何も出来やしない。元より、口すらないのだ。
「せっかくだ。遺言くらいは伝えてあげるよ。なんで家出なんてしたんだい?」
「お燐、違いますよ。この怨霊が家を出たわけではありません。稗田のお嬢さんが追い出したのです」
 心を見れば、それでも怨霊の考えは伝わるが。
「追い出した? それはまたどうして」
「先日、随分と里に鼠が出たでしょう?」
「ああ、あの時は狩りが楽しかったなあ」
「この怨霊はどうも体を壊していたようね。それで家にも戻れず……それを稗田のお嬢さんが鼠に怯えて逃げ出した、こんな薄情者はいらないと感情的になったようで」
「ふうむ」
「……あとで使いの者をやらせて、報告はしておきます。怨霊は、あなたが処分するように」


 数日の時が経ち、お燐は里に向かった。
「最後に一目ってのは未練が募ってあんまりよくないんだが……私も甘いねえ」
 怨霊に目など無い。それでも、何故だかわかった。そこが、稗田家の前であると。
「あら、さとりさまだ」
 さとりがいた。阿求が書けてくる音が感じられた。
 そして、阿求は泣いていた。泣き崩れていた。
 ああ、未練が募る。だけど、救われた気になった。だから、彼は思った。
 ありがとう。と。
 さとりの口が同じ形に動いていた。
 瞬間、怨霊の姿は現世から消えた。

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