ジャンル:アイドリッシュセブン お題:僕の嫌いなにおい 制限時間:4時間 読者:293 人 文字数:4065字 お気に入り:0人
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ゆりかご

学校の放課後って時間が好きじゃない。授業も好きなわけじゃないけど。そもそも学校って好きじゃないけど。でも放課後が一番嫌いだ。この浮ついた空気が好きじゃない。毎日訪れるものでしょう。そんなに騒ぐようなことじゃないんじゃないの。ユニフォーム片手に部活に急ぐ女子や嫌々掃除用具を取りに向かう男子の脇をすり抜けて、僕は一つ上の階の、上級生の教室にやって来た。このクラスの人間ももう見慣れたもので、今更好奇の目では見られない。最近は異性からの視線の方が顕著で、そろそろ女性同士の牽制が崩れて最初の一人が声をかけてくる頃だと思う。今日の所はそれは置いておくとして、僕は壁際の席で荷物をまとめている唯一の友人のもとにやって来た。
「万、どこか行こう」
「誘い方雑だな……」
万は一度鞄を持ち上げてみて置き勉を決め込むことにしたらしく、紺のスクールバックから教科書やら筆箱やらを取り出して机の中に放り込んだ。
「悪いけど今日カラオケ。前から約束してたから」
カラオケってものの面白さは、僕にはよくわからない。素人の歌なんか聞いて何になるんだろう。しかもあれ、人数が増えれば増えるほど歌う時間あたりの料金が高くなっていく仕組みだよね。歌いたいなら一人で行けばいい。万はそんな所で声を消費するべきじゃないと思うよ。
「誰と?」
「千、多分会ったことあるだろ。佐藤と今井と……あと香菜ちゃん。お前も来る?」
僕が首肯するなんて欠片も思っていないくせに、よくそんな事が言えるな。佐藤も今井も、顔しか知らない。佐藤は染めた髪が明るすぎて、顔に合ってない。今井は歯並びを矯正した方がいい。向こうは僕を煙たがってる。それだけは知ってる。香菜ちゃんは誰だろう。万の今の彼女かな。
「話があうとは思えない」
「話したことない癖によく言うよ」
「万は僕と似ているのに、なんでそんなに友達が多いのかな」
大体万って結構冷たい人間だよ。表面上は人当たりがいいけど、本当は他人にあんまり興味がないんだ。興味がないからあまり深く物を考えずに人に優しくできるってこともあるんだ。僕は知ってる。でも大勢の人、万曰く友人が万の周りにはいる。高校に入ってから付き合っている女の子も絶えたことはないらしい。別に羨ましがってるわけじゃないよ。周期は短くても女の子なら僕も絶えたことはないし。ただ不思議に思うだけだ。
「あのなぁ」
万は溜息をついた。この溜息のつき方は知ってる。道端で出会った無邪気に走り回る小さな男の子に危ないよ、と教え諭すように万は僕に言った。
「千、似ている人間同士じゃなくたって、人はわかりあえるんだよ」
ほらまた、お説教みたいなことを言う。今にもしゃがみ込んで目線を合わせて話し始めそう。年なんて一つしか違わないくせに、万はこういう所母親みたいだな。人はわかりあえるって、道徳の教科書じゃあるまいし。
「僕はそうじゃないけど」
「俺とお前だって、そっくりってわけじゃないだろ。同じ人間じゃないんだから」
そう?と僕は首を傾げる。ベターハーフ、いいと思うけどな。ロマンチックじゃない。
「いつならいいの。僕は万に相手をしてもらわないと、遊んでくれる人がいない」
万はもう一度溜息を付いた。これはさっきのとは違って、単なるポーズみたいなもの。
「今日以外ならいつでもいいよ」
なんだかんだ言って、万は僕に甘いんだ。
















雫が世界を叩く音で、ゆっくりと目を開いた。
「ユキ起きた」
僕が転がっているソファに背を預けて、床に座っていたモモがこちらを振り向いた。手元にはこの前巻頭カラーを務めた雑誌が開かれている。起き抜けで焦点が合わなくてしばらく見つめていると、小学生みたいな子達が写っているページだった。みたいなというか、小学生だろう。最近の子ってこんなに小さい頃からアイドルやってるのかな。ちゃんと夜眠れてるんだろうか。大変だね。
「いつ来たの」
「ん、お昼頃かな」
「いま何時」
僕の部屋には時計を置いていない。おかりんが誕生日プレゼントか何かで贈ってくれたことがあったけれど、秒針の音がうるさくて電池を抜いてしまった。それを知っているモモは手元のスマートフォンに目をやって、五時、と答えた。雨が激しく叩く窓に目をやると外はもう夜の気配がして、そこから薄っすらと冷気が部屋に染み込み始めている。モモはこの家で四時間以上もじっとしていたことになる。オフの日は遊び回っているモモにしては珍しい。悪天候なんて、モモを閉じ込める道理としては弱すぎる。僕と二人で過ごす根拠にも。そもそも僕は昼食の後からずっと眠っていたのだから、これは二人で過ごしたと言えるのかな。ちょうど頭のところにモモのうなじがあった。パーカーのフードと首の骨の間に顔を埋めると、雨の日のコンクリートの匂いがした。くすぐったいよ、とモモは笑う。重たく沈む灰色から硝子で隔離されたこの部屋は、乳白色の空気で満たされているみたいだった。
「起こしてくれてもよかったのに」
「気持ちよさそうに寝ていたから」
寝起きだからかな。ちょっと噛み合わない。ダーリンの寝顔がイケメンだったから、とかそんな軽口を言われると思って構えていたのに。僕達の会話のテンポが上がっている時には、そうやってモモがこれから言うことがわかることがあって、モモがその答え通りの返事を口にするたびに僕は少し誇らしくなる。
すぐ側にあるモモの瞳は、まるで温かいお湯に浸かっているみたいに揺らめいていて、これは僕の判断ミスだったと思う。軽口を言うような雰囲気じゃなかったな。どちらかと言えば甘い空気だ。
「いい夢見れた?」
「夢?」
そうだ、夢を見た。高校の時の万が出てきた。本当にあんな会話したかな。よく覚えてないよ。香菜ちゃんは一度寝た気がするので実在の人物だったように思うけど、佐藤と今井はわからない。モモが乱れた僕の髪を整え始めたので好きにさせておく。一房一房丁寧にすきながら、背中を撫ぜられているよう思えて、僕はまた瞼が降りそうになる。
「ドラマ、忙しそうだもんね」
「うん」
キー局提供の何十周年だかの記念ドラマは結構大掛かりで、最近の僕のスケジュールはその仕事を最優先にして組まれている。残念ながらモモはキャストにいない。モモは最近バラエティの出演が増えているから、別々の仕事をしていることも多い。ドラマの現場では始めて共演する俳優も多くて、随分気を使う。僕はそうでもないけれど、おかりんや事務所の人が。モモさんがいてくれたら助かったのにって、あの現場だけで十回は聞いた。僕もそう思うよ。昨日の撮影は深夜を回っても続いて、ようやく家に辿り着いた時にはもうこの国の朝が早い人々は活動を始めているような時間帯だった。そのまま眠って、お腹が空いたので昼前に起きてシャワーを浴びて、もう一度ソファに横たわって、気が付いたらモモがいた。もしかして心配して家まで来てくれたのかな。
「たくさんの人が、モモの話をするよ」
「オレの?大丈夫かな。Re:valeの評判、悪くしてない?」
「皆モモのこと褒めてくれる」
モモが褒められると嬉しい。僕自身が褒められるよりもずっと。昔、あの小さな六畳一間で膝を突き合わせて、オレとユキで人を分担しようってモモが言った。芸能界にはモモと上手くやれるようなタイプと、僕が上手くやれるようなタイプがいるらしい。そうかもしれないけど、その比率って97:3くらいじゃないかな。その3の中の2くらいは、多分モモとも上手くやれるよ。モモがそんなこと言い出したのは、僕があちこちで悪評を立てるのを見兼ねて、そういう相手を懐柔する戦略だってちゃんと知ってたよ。僕は誰に何を言われても気にしないけど、Re:valeとしてはそうはいかない。でもそういう風に立ち回るモモを悪く言う人も100人に1人くらいはいて、そういう1とは僕も上手くやれないから、要するに僕はその方面では役立たずってことだ。
「褒められてる?本当に?それならよかった」
モモは人が好きだし、人に好かれる。Re:valeは当初の戦略通り、人々に愛される親しみやすいアイドル像へ近付いているけれど、それはほとんどモモのお陰だ。モモのすごい所は、自分が愛されるだけじゃなくて隣にいる僕までそうやって人に愛される僕に変えていく所だ。今のドラマの現場でも、ユキさんって結構お話ししやすいんですねなんて言われて驚くことも多い。でも悪いけど、多分僕の本質は変わってないよ。他人にはあまり、興味がない。
「モモと僕は、全然違うな」
「寝ぼけてるの?」
「そうかも」
そうだよね。僕達、似ている所を探す方が難しいな。不仲説が出るくらいだし。
「やっぱり疲れてるんだよ、ユキ」
「そうね」
「ユキ、偉いね。頑張ってるね」
モモが僕の頭を撫でるけど、撫で方がまるでボーリングの球を磨くみたいだ。昨日は先輩達と一緒に夜中までボーリング行ってたよね。モモは僕を甘やかすのが下手だな。
多分僕はこれからもモモの言っていることがよくわからなくて、モモを怒らせたり、悲しませたりするんだろう。それは辛いことだけれど、それでもモモは僕の隣にいてくれるんだろう。だから僕もその分頑張りたい。他人に愛されなくてもいいけど、モモには愛される僕でいたい。
「オレ、そろそろ帰らないと」
モモがそう言って立ち上がる。コーヒーフレッシュが拡散していくみたいに、漂っていた乳白色の世界がゆっくりと床に沈んでいく。僕にはそれが酷く寂しい。
「どうして。まだ来てから少ししか経っていないよ」
「ユキがずっと寝てたからだよ」
「だから、起こしてくれてもよかったのに」
ねぇ次からは起こしてよ。遠い未来だけどそれでもいつか、お別れの日は来るって知ってる。僕達は同じ人間じゃない。だからモモともっと話していたいよ。
「ダーリンの寝顔がイケメンだったから」
そう言って、僕の母さんは微笑んだ。

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