27

口汚い言葉を出そうとすれば変わりに咳が出た。ほんとクソッタレだ。
蛇口が壊れた鼻。穴ぼこだらけの喉。極めつけはマグマが煮えたぎる頭と氷水に浸かった体だ。とっくにジョージにはインフルエンザがうつるから部屋に入るな命が下されている。
これまた計ったみたいにデリーの町はバケツをひっくり返した豪雨に見舞われていた。精々あの時と違うのは症状が中々改善されないのと、ルーザーズ・クラブのみんなが冷やかし半分にお見舞いに来てくれるところか。
寝込んで四日目。そろそろ良くなってきてもいい頃なのに熱と咳、鼻水は相変わらず大盛況だった。トイレに行くのだって億劫で仕方ない。でも、この年で寝間着とベッドを汚すのは人として兄として恥ずかしい。
夜更け。浅い眠りから覚めたビルは重たい体を起こしてトイレに向かう。覚束ない足元で歩けば壁に接触。ついでだからそのまま壁伝いに歩いて行った。如何にか人としての尊厳を守ったビルが部屋に戻ろうとすれば何かが目の前に立ちはだかった。薄ら開けた目ではそれが何か見極めたくても頭が働かない。
そうこうしている内に目の前に立ちはだかっていた”それ”が両腕を広げビルを包み抱き込んだ。鼻腔を擽るポップコーンや綿あめ、ホットドックの美味しそうな香り。鼻が詰まっているのにはっきり分かる。それと何処かで嗅いだ匂いもした。



おいでビル 俺の世界に行こう



柔らかでふわふわした服に埋まり沈んでいくビルの意識は一旦そこで途絶え。次に意識が戻った時には自分の部屋のベッドの上だった。
だが、不思議なことに自分の部屋であって自分の部屋じゃなかった。間取りが、家具や机の位置、何より色がない世界に目を疑う。
白黒の世界で何故か自分だけ色を持っている。熱が引いてきたのか、それなりに頭が回り始めた。ぐるり室内を見渡せば見渡すほど自分の部屋だが自分の部屋じゃない、自分の部屋だと思うが断言出来ない。如何にも上手く言い表す言葉が見付からず歯痒い思いをしていればベッドの縁で頬杖を付き狼狽える様子を見上げていた鮮やかな色と目が合った。
白黒の世界じゃ目が痛くなるくらい鮮やかな色彩を身に纏った”それ”はにんまり笑みを深める。
「おはよう。よく眠れたかい?体の方はどう?」
「……~~、~~!?~~~~!?!?」
「あーあー。喉の調子がイマイチってやつか。無理して声にしなくていい。声にしなくても俺と君は会話できるだろう?なあ?」
「………」
「悲しいねェ。そんなに俺とお喋りしたくないのかい?ビルゥ~」
悲しげに眉根を下げたかと思いきや次の瞬間には音も立てず窓際に移動する鮮やかな”それ”。
「ちょっとした運動にこの町を案内しよう。なに知っているとしても新しい発見がわんさか見付かるもんさ。勿論着替えてからだ」
目配せした先にあるタンス。あからさまに拒否権が無いのを匂させてくるのでビルは渋々ベッドから降りてタンスの引き出しを開けた。中に詰まった服はたしかに自分のもの。だけどそうじゃない。サイズもピッタリ、服のセンスも大差ない。だが違う。何か突っかかる。
「さあ、迷わないよう手をつなごう」
差し出された白い手。怪訝な面持ちで見下ろすビルに”それ”は問答無用で差し出す気配の無かった子供の手を握り歩き出した。
ぎゅっと掴んだ手から滲み出る絶対に逃がさない意思がビルの喉を無意識に鳴らす。
引っ張り出され歩く町は何処も彼処も白黒。しかも、停止ボタンを押したみたいに何もかも止まっていた。羽ばたく鳩が空中に漂ったまま、転びそうになった子供も地面に接触する寸前で止まっている。
全ての時が止まった世界で唯一色を持ち動いているのはビルとその手を握り町を案内している”それ”だけ。
「この町、いやこの世界はずっと止まったままで動かない。死んだも同然さ。何故だか分かるか?」
不意に手を引いていた”それ”の足が止まったのでビルも止まる。
見上げれば”それ”は溜池の先にある何か建物の入り口みたいのを虚ろな瞳で眺めていた。この景色には見覚えが無い。初めて見る景色なのに何故かビルの胸に宿る感情は懐かしさだった。
「長い年月が経てば永劫の命を持たぬ生命は皆死ぬ。だが、その死に方が問題なんだ。あれは強い思いを感情を意志を引き継ぎ過ぎた死だ。だからこの世界は止まり死んだ」
手を握る力が強まりビルの顔が顰められた。
「しかし、俺は運がいい。慣れ親しんだサイクルは俺に幸運を運んでくれた」
ぐるんと勢いよく顔を向けてきた”それ”にビルの体が強張る。
「君だよビル。これから君は此方の世界のビルになるんだ。そうすれば世界は再び色付き動き出す。ずっとずっと永劫に回り続ける……」

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