ジャンル:カルジュナ お題:春のエデン 制限時間:15分 読者:112 人 文字数:1821字 お気に入り:0人

エンドロールシャッハⅢ-?

「あぁ」
 声が思ったよりも近い。アルジュナがそう思って振り向くと、十五センチメートルの定規よりも近い場所にカルナの瞳がある。咄嗟に後退ろうと足を引くが、実習机に遮られる。
「近いのですが」
「あぁ、近付いているからな」
「離れてください」
 言いながら、アルジュナはカルナの胸を押した。それ自体に抵抗はされなかったが、カルナはそれでも定規二本分程度しか距離を作らない。
「お前は何故、オレに向かって笑わない?」
 愚問だ。以前のカルナとアルジュナを知っているとしたならば。
 しかし今、カルナはアルジュナに会ってそう経たない。アルジュナの評判を周囲に聞いたのならば、いつも穏やかで笑みを絶やさぬ柔和なモデルだと言われることだろう。そこに、カルナにだけは笑顔を出し惜しみする今のアルジュナとの差異を見つけていても、おかしくはない。
「すみません。そんなつもりは」
 涼やかに、元よりあったような返答をしながら、アルジュナは髪を耳にかける仕草をする。これはロビンフッドに会った時と同じものだ。値踏みをされる世界にいることを続けると、自然とポージングをしてしまう。一種の職業病だ。しかし今度は、その手を掴む者がある。
 ぐ、とカルナの顔が再び近付こうとする。その瞳はサーヴァントの時のカルナとは違う。本質を見抜くものでも、虚偽を断罪するものでもない。ただ目の前にあるアルジュナを穴が開くほどに見つめてくる、賛美の目。敬虔なる信者にも似た、盲目の虚ろ。
 アルジュナ、とカルナがアルジュナを呼ぶ。ただ一言、ただの名前。しかしカルナがそのように、慈愛を込めて呼ぶことなど今までには無かった。当たり前だ。永遠ともとれる輪廻と転生の果て、二人の宿痾はまだ癒えていなかった。治癒などしていなかった。忘我の海に記憶を投げたカルナだからこそ、アルジュナをその声で呼べるのだ。
「や、めてください」
 アルジュナの声は震えていた。
「何故だ」
 カルナは、アルジュナの頬をそっと両手で挟む。その瞳の奥に、何を覗こうとしているのだろう。それくらい、アルジュナからは、カルナが必死になっているように見えたのだ。
「貴方を見ていると、もう取り戻せぬ過去を思い出すのです」
「それは、取り戻したい過去なのか?」
 アルジュナは、どう答えればいいのか分からなかった。アルジュナという英雄であれば、カルナという宿敵は必ずあらねばならない。なれば、今、人間として生きているアルジュナに、カルナは必要なのだろうか。カルナが必要だと、アルジュナ自身が望まなければならないのに、アルジュナが望んだところで帰ってくるかは分からない。だからこそ、アルジュナは素直に首を振った。
「分かりません。けれど、私が私であるために、あれはあらねばならなかった」
 そうか、とカルナは静かに告げ、アルジュナの頬を、その白く細い指でなぞった。
「オレがそうでないことを、悲しく思う」
 それは、カルナが、自分自身のことを覚えていないからこその言葉だった。
 カルナが思い出せばきっと、アルジュナはこの世界が人間のものであれ、どこかしらの特異点であれ、受け入れることができていただろう。アルジュナ、という存在にとっての対、それがカルナである。
 逆を返せば、カルナが居ることで初めてアルジュナというサーヴァントに存在意義が生じる。カルナが居ない場所にアルジュナが居たとしても、それは空虚を独りで眺めているだけに過ぎない。
 そういう宿命を、背負ってしまっている。享受してしまっている。甘受してしまっている。アルジュナはその自身の自堕落に溺れた感性に、胃が羞恥で燃えてしまいそうになった。
「……離してください」
「嫌だと言ったら?」
「蹴ってでも」
 それは困るな、とカルナは名残惜しそうにアルジュナの耳元を指先でくすぐってから離れた。アルジュナは小さく息を吐き、カルナから距離を取る。そして教室をさっさと出ていこうと歩を進めた。
「待て」
 アルジュナの背に、声がかかる。アルジュナの後ろ手に握らされたのは、紙面の欠片。
「オレの番号だ。連絡をくれ」
 カルナの懇願には返答をせず、アルジュナはそのまま教室を出た。
 握らされた紙面に踊る十一の数字。手の平にすっぽりと収まる小さな紙を、アルジュナはしばらく眺めた後、くしゃりと握り潰す。紙などでは、アルジュナの手を、これっぽっちも傷つけられなかった。

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