雑踏(冬北) ※未完
電気くらいつけろよ、と言った天ヶ瀬冬馬が部屋の電気をつければ。真っ暗な部屋のソファの上で目を瞑っていた北斗は、ゆっくりとその瞳を開き、「よく俺が居るってわかったね」と言う。
「わからに決まってるだろ」
冬馬はそう呟き、着ていたジャケットから腕を抜く。
「どうして?」
「そんなの、めちゃめちゃお前の匂いがしたからに決まってるだろ」
冬馬がジャケットを、ハンガーにかけてそのままラックに垂らした。突然明るくなった部屋の明度に北斗はまだ慣れきれず、しきりに瞬きを繰り返しながら冬馬を眺めている。
「匂い」
「香水だよ」
「ああ、そっか。やっぱり。……だとしても、よくわかるよなあ」
冬馬が自分の香水の匂いに敏感だということを北斗は嫌というほど知っていたから。だから彼は、今日。実は冬馬のことを試していたのである。
「俺、朝からシャワー浴びて、それから大学に行ってね。1時間前くらいに帰ってきたんだけど、帰ってきてからもまたシャワー浴びたんだよね。ちゃんと、着替えもしたし。それなのにわかるんだ」
実を言えば、今日は朝から香水すらつけていなかった北斗は。それでもなお自分の存在を香りで認識する冬馬に驚かずにはいられなかった。
「犬みたい」
「誰が犬だよ」
「だって、ねえ。こんなのもう、特殊能力だよ」
冬馬が本当に香りで自分を認識するのか確かめたくて。北斗は今日、帰宅してからちゃんと靴を下駄箱にしまった。鞄も自室にしまい込み、着ていた服も洗濯機の中だ。家中のすべての電気を消し、声を潜めて待っていたから。だから、冬馬は自分の姿を認識するまでは、自分を帰ってないものだと見なすとばかり、北斗は思っていた。それが、この結論である。帰っていることは見事に看破され、なんならリビングのソファにいることすら。電気わつける前の真っ暗闇の中でばれてしまったのだ。犬みたいというほか無いだろう。
「それだけ嗅覚が良くて、生きにくくないの?」
「いや、俺別に特別嗅覚がいいわけじゃないぜ」
「ええ、嘘だ。じゃなかったら、絶対俺の香水の匂いとかわからないでしょう」
うーん、と冬馬は言う。目を瞑り、腕を組み、首を少し傾げて。言葉を手繰るように探る。
やがて、冬馬は目を開けた。
「わかるっつーか、お前の香水の匂いだけは、すぐわかるんだよな」
自分でも不思議だ、という顔で冬馬は言った。だから、その言葉を返すことがいかに無意味であるかはわかりきっていたけど。それでも、北斗は言い返さずにはいられない。「それは不思議だね」、と。
「俺の姿を見るより先に、匂いでわかるんでしょ?」
「ああ」
冬馬は答える。これまでの経験を頭の中に浮かべながら。事務所の扉を開けるとき。楽屋に入る瞬間。この前なんて、生放送の広いスタジオの中ですら、彼の香水の匂いをかんし