敬天愛人 ※未完
彼女はいつだって礼儀正しくて、私とも仲良くしてくれた。家に来る時は手ぶらじゃなくて、みんなで食べようねってお菓子とか色々持ってきてくれたし、今までの女の人と違って私をバカにした目で見つめずただただ底知れない暗くて、そのくせ憐れむような視線をよこした。
彼女は名前も覚えてくれた。私が通う学校がどういう校風なのかとか、担任がどういう人間なのかも把握していた。先生に彼女の話をすると、少しだけ顔をこわばらせて、それから私とは一切口を利いてくれなくなった。あの人は先生の女でもあったのだと、そこで初めて気がついた。
彼女が金を無心することは無かった。身綺麗で、切りそろえられた赤毛はキラキラ輝いていたし、服もあまり派手ではないけれど清潔で仕立ての良いものを着ていた。自分に似合う物がなにか、明確に把握しているのだろう。引き締まった体躯はフェンサーらしくすらりと伸びた手足が印象的で、それでも胸とか太ももとかそういうところは女性らしく曲線を帯び、なるほどこれは手元に置いておきたくなるのも当然だなと、私は父さんの部屋のドアの隙間から彼女の裸体を覗き見る度に感心するのだった。
母さんは彼女の存在に気がついていた。気がついていたけど、見て見ぬふりをした。自分では勝てないと思ったのか、父さんの心がとっくに自分から離れていることは承知していたから、あえて何も言わなかったのか。今となっては分からないけど、あの人は母さんにも優しかった。お土産はちゃんと母さんの分も用意されていたし、どこまでも優しかった。
彼女は優しい人だった。優しい人を演じることに慣れきって、擬態した姿が貼り付いて剥がせなくなって。そういう顔をしていた。心の底から楽しくて笑ったり慟哭することはあるのだろうか?
彼女は人間と言うより、ぜんまい仕掛けの人形か、私に言わせれば蝋燭に近づいたがためにその身を焦がす蛾に思えて。
「あなたって、父さんの何なの?」
「何なの、と言われても」
困ったように柳眉を顰めて、ほんの少しだけ口元を持ち上げて微笑む彼女は綺麗だった。
「父さんの恋人? 友達? それとも二人目の母さんにでもなるつもり?」
声が震える。自分で思っていた以上に考えがまとまらなくて、何をどう詰問すればいいのか分からなくて。
「恋人? そんなに可愛い関係じゃないし、友達というほど浅くもないし、そうね、あえて言うなら」
丸っこくてぽってりした唇がゆるやかに動く。綺麗だなと思った。
光流の即興 二次小説
作者:光流
ジャンル:世界樹の迷宮
お題:汚い人々
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非道い人間というものはどこにでも存在するもので、私を両親の元から連れ出した男は特別非道い人間だった。 なにしろ、文字の読めない両親に支離滅裂な文章もどきを書い
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作者:光流
ジャンル:世界樹の迷宮
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文字数:1698字
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作者:光流
ジャンル:世界樹の迷宮
お題:誰かと恋人
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読者:83 人
文字数:1554字
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とにかく暇な日だった。世界の終わりが来るからみんな家に引きこもり愛する者と過ごしているために、こんな場末の食堂に足を運ばないんだと思いたくなるほど、暇だった。
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作者:光流
ジャンル:世界樹の迷宮
お題:昼間の冬
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読者:88 人
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作者:光流
ジャンル:世界樹の迷宮
お題:今年の善人
制限時間:1時間
読者:112 人
文字数:2118字
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奴隷という身の上に生まれてから、善人に分類される人間に出会ったことなどなかった。 善人、善良で心穏やかで誰に対しても優しく接する聖人。果たしてそんな生き物がこ
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作者:光流
ジャンル:世界樹の迷宮
お題:女の夕日
制限時間:2時間
読者:100 人
文字数:2307字
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日没が沈む瞬間が好きだ。 水平線が深い紺色から目に沁みる色鮮やかな橙色にグラデーションを作り、その中心に煌々と輝く太陽が鎮座する。 涙が滲むのも構わずに夕日を
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