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寄り道

 「ただいま」の一言をうまく言えないまま数年を過ごしている気がする。だから、行ってきますも上手く言えないで、支部を出て鍵を掛けた。みんなもう出掛けてしまって、他に誰もいなかったから。駅に行って本屋に入って、コーヒースタンドに入って、時間をやり過ごす。駅のベンチに腰かけて、駅員さんに声を掛けられて立ち上がって、どこへ行ったらいいか分からないんで道を教えてくれませんか、を尋ねる相手を探した。そんなのどこにもいないから、だからベンチに座っていたのに。だから立ち上がっても立ち尽くすばっかりで、迅悠一はまさに迷子の天才だった。寄り道をしよう、と頭の上から何かに狙撃される。そうだ、駅の本屋だってコーヒースタンドだって寄り道みたいなものだった。バスを乗り継いで、街の中でもひと際人の気配の少ないバス停で下りて、そこから先は歩く。歩くのも面倒でトリオン体に換装して、それからひとっ飛び。あ、いや途中でグラスホッパー使ったからふたっ飛びかな……。本部に寄り道をする。開発室を覗いて、試したいシミュレーションでもないか尋ねたら、まだそんなものもないからねと苦笑いをされた。何かあったら声をかけるから、またよろしく、と手を振られて、それは「あっち行け」ってことじゃないから……分かってる、分かってるって……。
「午後から太刀川が顔出すっつってたぞ」
 目の下にくっきりと青黒い隈を作った冬島さんは、脂っぽい髪へかゆそうに指を入れていた。
「あいつ大学の単位いいのかね?」
「はは、だめでしょ」
「あいつ卒業できんのかなあ、まあするだろうけどさ……」
 お前暇なら俺の報告書手伝ってくれや、もー全然終わんなくってさあ、と冬島さんがぼやいて、語尾は欠伸と一緒に眠たげにとけていった。
「手伝いたいのは山々なんだけど、俺じゃ力になれそうにないな」
 だよなあ、と頷いて、「お前暇ならコーヒー買ってきて」とお金を渡した。お前にも出来る仕事だよと渡されて、平和っていいもんだなあと思う。こんな、今日もどこかで誰か殺されてるかもしれないのに、俺、コーヒー買って来いよって子ども扱いされてお使いを頼まれてる。いいよと頷いてコーヒーを買って、その間は何にも考えなくていいから、不安が掻き消えていく。
「冬島さん、すごい隈ですね」
「お前だって顔色悪いよ」
「トリオン体なのに?」
「そういうのはあれだろ、気分みたいなもんだろ」
 ほら、もういいから、食堂で飯食ってきな。次の寄り道を教えられて、身体は簡単にその通りにしていた。
 世の中、腹が減ってると大体悪い方に物事を考える、とインターネットが教えてくれた通り、食堂でカレーを食べたらだいぶ気持ちが落ち着いた。ほとんど残っていないカレー皿(大盛り)の一口を食べたら追い出されたりするのかもしれないと思って、いまいち最後の一口に手が付けられない。珍しい顔がいる、と気安い言葉で、冬島さんの言葉通りになった。太刀川慶だった。
「大学の単位、いいの?」
「最低限は出てるからいいんだよ」
 何だよお前まで、と頬をむくれさせて、太刀川さんはうどんをすすった。ボーダー本部の食堂も例にもれず、どこの食堂でもうどんは安い。大盛りでも三百円。そこにときどき「フンパツ」と称して(絶対意味わかってないし漢字書けない)コロッケだとかお揚げだとかを乗せるのを好んでいた。一つ年上なのにこの人いつまでも子どもみたいでほんと俺まで不安になっちゃうんですけど。
「お前今日何時までいんの」
「え、やだよ」
「何も言ってねえだろ、俺は夜までいるけど」
 ラーメン奢ってやるから付き合えよ。俺だって太刀川さんに何も聞いてないけど。
「夜までかあ」
「いいだろ、お前今日なんか暇そうな顔してる」
「してないって」
「ラーメン奢るから」
「うーん……」
「決まり」
「何それ」
「だってお前、用事あるときは悩まないだろ」
「ラーメンなあ」
「チャーシューつける」
「仕方ない」
 ほらな、と予知を覆したときみたいな顔をして太刀川さんはうどんをもう一口すすった。

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