ジャンル:ワールドトリガー お題:賢い春雨 制限時間:1時間 読者:48 人 文字数:2400字 お気に入り:0人
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もうここに住んじゃえ

 おまえの鼓動を聞く。肌に耳を押し当てて、指が髪の間を通る音が混ざる。おれ、お前の指がけっこうすきだよ。唇がにやりとする。お前の鼓動の前では自分の息遣いが雑音に思える。このまま止まったらいいのに。呼吸も時間も心臓も。破滅的だ、星に似ている。だって、おれの体内で働いているナトリウムもカリウムもカルシウムもリンも鉄も水素も酸素も二酸化炭素だって、およそすべて星からの贈り物なのだし……。命とは祝福で、おまえの身体を成すのもおれの身体を成すのもだいたいおんなじ。なあ京介、おれたちみんなプレゼントなんだよ。おれは母さんの子で、そして星の子なんだよ。いつか離れることがあってもそれだけは変わらないんだ。むかし不安の中を手探りした言葉をお前に与えて、おれはおれに与えられたかのような指を手に取って、両手に包んでそこにあることを確かめている。カルシウムやその他で出来た別の肉体を感じている。けれど、京介から返ってきた言葉は彗星よりずっと冷たくて静かだった。
「だから?」
 星の子である俺たちの再会の旅路はあまりにも長かった、待ちくたびれた。同じところから生まれたのだとしたら、俺たちが分かたれてからここに至るまでかれこれどのくらいの月日、距離が俺たちを隔てていたんだろう。ずっと離れ離れだったんですよ、今さら「ばいばいじゃあね」って出来ると思うんですか。また明日、くらい言ってくれなきゃむり。
「何それ」
「揚げ足取り」
「はは、ずるいな」
「迅さんに言われたくないですよ」
 恋人同士みたいな掠れた声がひそひそと絡み合っている。おれと京介の声じゃないみたいで首の後ろの産毛がぞわぞわと膨らんだ。スエットと布団と自分の髪。ざりざりと擦れる音と血の通う音と息遣い。現実とロマンチックは星空くらい遠くて、おれたちだって星の子ではあるけれどだいたい全て物理法則と化学とか生理学で動くよく出来た柔らかいロボットだった。彗星だって法則に従って動いている。何かしら説明がつく。おれのこの恋だって多分そう。説明がつかないと思ってるのはおれだけなのかも。何かしらの感情っていう法則を見ないふりも、この柔らかいロボットには、可能だ。
「で、これから離れるんですか?俺を家に帰しちゃうんですか?」
「やだよ、泊まってけって、ここで寝て」
「はいはい」

 キッチンというのはひとつの戦場である、というのが木崎レイジ語録に一つあって、それを荒船に教えたら「冗談ですよね?」としばらく疑って考え込み、最終的にノートに書き留めていたのであの帽子の後輩の生真面目さは本当にかわいい。その真偽はともかく、キッチンというのはひとつの戦場である。時間までに人数分の食事をある程度の数量、ある程度の質で仕上げなければならない。限られた材料で自分を含めた人数分の幸福を最大化させなければならない。フライパンの中で今日のメインディッシュは湯気を立て、脂が光をぱちぱちと跳ねてつやつやしている。ごま油と豚肉の香ばしさが鼻から脳へ入って食欲をつっついて、食事の時間を予感した胃が目覚めてぐっと伸びをするのが分かる。出来立てのホイコーローのキャベツはなかなかいい顔をしている。噛んだときのことを予想して、しゃきしゃきと繊維を噛む食感が、香りや味が記憶から引っ張り出されてありありと蘇る。キッチンの作業場からはもう俎板も片付いていつものメインディッシュを乗せる大皿が今や遅しとホイコーローを待っている。まずはその大皿へホイコーローを半分、それからタッパーウェアにおすそ分け、残りは大皿へ空けてしまう。食堂の流しによく働いたフライパンを置いて、それから食卓を拭く。大皿のホイコーロー、薄味に仕上げた玉子のスープともやしとわかめのおひたし。それから炊いたばかりの白飯。匂いを聞きつけた後輩たちはてきぱきと食事と食器を運んでいく。作り置きの麦茶も出す。陽太郎のお子様用いすも出してくれる。そこに水色のおはし。ただしい持ち方を出来るようになるための補助具がついている。丸っこい車の絵がもう掠れてしまっているが、そのかわいい親指もすこしずつ補助具の輪がきゅうくつになってきているようだった。いただきます、と手を合わせる。日々は過ぎていく。今日学校であったことを話す。川は流れる。ひとは変わっていく、おれも変わっていく。多分そのうち、おれの顎にも最上さんみたいにひげが生えたりする日が来るんだろう。
 食事の片づけをした最後の仕上げに、家へ帰る京介へホイコーローの詰まったタッパーウェアを持たせる。明日の弁当に入れろよ、と声をかけて。
「ホイコーロー、うまかったです」
「よかったな、明日も食べれるぞ」
「よかったですよ、ご馳走様です」
「また明日」
「はい」
 おやすみなさい。玄関先で笑った京介の頬は心なしか赤らんでいて、それはさっきここの風呂を使ったからだった。普段すました顔の男が三つ年下の、ついこの前まで小児科にかかってた子どもに戻ったような幼さを端々に浮かび上がらせるような気がしている。おれの気のせいだ、願望だな。もう、住んじゃえばいいのにな。お前と夜通し映画とか、観てみたい。お前と観たいやつあるんだよ、城戸さんにも借りたりしてさ、お前だったらあの映画観たら何て言うのかな、なあ。いつもの靴に足を突っ込んでるお前は、これからレイジさんに送ってもらって、ホイコーローを弟とか妹の弁当に詰めてその間に洗濯機回して、明日の準備をして洗濯物干して。親が飲みたがるからっていう発泡酒を冷蔵庫に入れてやって、それからお前一番下の子に絵本読んでやるのかな。もうここに住んじゃえば。でももしそうなったら、そういう優しいお前は、いなくなっちゃうのかな。
「おやすみ、京介」
 ひらひら手を振る。そういう優しいお前が優しい夢を見られますように。優しい夜でありますように。

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