初詣
なぜ今日に限って寒さが身に沁みるのかは外に出てわかった。三日ぶりに会社から抜け出して、替えのパンツとシャツを買いにコンビニに入ったところでわかった。新年なのだ。
おせちコーナーを横目に目当てのものを籠に入れ、レジに向かうと、自分より随分前に真実を知らざるを得なかった青年が、達観した様子で待ち受けていた。同朋意識ゆえに「大変だろう」とほほ笑みかけるが、返ってきたのは小指の爪の先ほどの愛想でしかなかった。彼も忙しいのだ。
外に出て冷気を浴びる。氷の樽に顔を突っ込んだような気分だ。薄いコートの前をかき合わせ、足早に帰路を行こうとしたところで(この場合の帰路っていうのは会社だ)ふとある人影に気づく。コンビニを出ていきなり左にある線を引いただけの駐輪場に、誰かが一人が立っていた。くったりと曲がった猫背、目深にかぶった中折帽、帽子から靴まで真っ白のいでたちは真夜中の空に浮かぶ月のごとしだ。彼は帽子のつばと襟の間に僅かに覗く唇に、一本の棒付きキャンディをくわえていた。いまいち決まらない小道具は、カラ松がきつく禁煙を言いつけたせいだ。ころころと動く棒の先端が、置物のような彼でも生きているのだと示していた。どうして彼が、こんなところに、ひとりでいるのだろう。白い棒の切り口がカラ松の方を向く。ビニール袋を片手に引っ掛けたまま、ぼんやりしているカラ松に、彼はきつく睨みをきかせた。彼はいつでもこうなのだ。人を脅すことに慣れている。バカとかアホとかクソとか、言葉にしなくても伝わる侮蔑が一瞬カラ松を刺し貫いたが、それを塗りつぶすように、彼はぶっきらぼうに告げる。
「やっと見つけた。迎えに行ったんだけど、入れ違ったみたいだね」
「はあ……」
「仕事中に悪いけど、デート付き合ってくれない」
はあ、わかりました、では三時間後に……などという前に手を取られる。
「新年は神社に行くんでしょ」
ぼく知ってるよ、と言わんばかりの態度で、ずんずんと進む。
「神社、閉まってるんじゃないか」
「関係あるかよ」
カラ松はこの手を振り払ってしまおうかと思う。思うのだが、手を引かれるまま歩き続ける。ちゃんと仕事に戻らなければとは思うのだが……。脳みその隅っこで上司が今日中にできないとやばいよー死んじゃうよーと叫び、同僚が一人欠けたらやばいよー死んじゃうよーと叫んだが、カラ松はただ手を引かれて歩いていく。そのうちどの顔もカラ松から遠く離れて消えていった。
『参拝時間 元日 十六時マデ
二日 十時カラ十八時 三日……』
近所でもそれなりに名のある八幡宮は閑散としていた。立派な鳥居の脇に立看板があったが、彼は構わず進んでいく。日本語が読めないせいだが、読めたとしても、鼻で笑うがせいぜいだったろう。暗い参道にも当然ながら人気がない。奥に行く事に明かりは少なくなり、彼の手の感触だけが確かなものになっていく。本堂に至ろうというところで、柵が二人の行く手を阻んだ。高さは腰ほどの小さなものだが、朱に塗られ彫り物の施された立派な姿は、カラ松のような者の心をくじくのには十分だった。
「やっぱり帰ろう」
「何言ってるの。せっかく来たんだよ」
「バチが当たるかも……」
彼はつんと唇を突き出した。
「そんなもん、生まれた時から当たってんだよ。いいから、早く」
振り向いて両腕を広げてみせる彼に、カラ松は渋々手を伸ばす。柵よりもっと低い位置にある彼の両脇を抱えると、恐る恐る障害物を乗り越えた。灯の消えた神社は奥に行くほど闇が濃くなる。首にぎゅっとしがみつかれて、やはり彼でも暗闇は怖かったのだとカラ松は思う。知らないうちに口元が緩んでいた。
作者:hese
ジャンル:おそ松さん
お題:去年の馬鹿
制限時間:1時間
読者:39 人
文字数:1324字
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