E組のイモウトちゃん
「あーつーいーつかーれーたー。もう授業とかやめてプール行きましょカラスマー」
「行くなら一人で行け。仕事を終わらせてからな」
「なによぉ。プライベートビーチ行きましょって言わないだけ譲歩したってのにー」
「それは譲歩なのか……?」
関東地方が梅雨明けする少し前から、日中のうだるような暑さは毎日のようにイリーナの口の端に不満を上らせていた。
私立中学だというのに、本校舎から遠く離れたこの旧校舎内にはクーラーもなく、扇風機はこの蒸し暑い空気をかき回すだけで大した役に立たない。ぎりぎり「この痴女が」と烏間に怒られない程度にボタンをあけスカートをめくり上げたイリーナが、なんともだらしない格好で机にだらんと脱力して、烏間はさっきから気が散りっぱなしだった。
「……ったく」
正直うるさくて仕事にならないが、静かになったら静かになったで、熱中症にかかっている可能性も否定できないのが悩ましい。つまり、黙っていてほしいのに放置ができない。
烏間はため息をついて、がらりと机の引き出しを開けた。
「ほれ、これでも額に貼ってろ。少しはマシになるだろう」
そう言って烏間はイリーナに、常備していた冷えピタを放る。むくりと体を起こし、イリーナはめんどくさそうにつぶやいた。
「なぁにこれー」
「冷えピタというやつだ。見たことないか」
「しらないー」
「本来は発熱した時に使うモンなんだがな。紙を剥がして、額に貼ってみろ。だいぶ違う」
「ふうん?」
しばらく初めて見るらしいそのシートをぶにぶにと弄んだあとに、イリーナはそのシートを従順に額に貼り付けた。
「う、わあ……ああああ……」
心底感動したような、間抜けなうめき声ともため息ともつかない声が漏れる。「これっ……冷たくてきもちいいわね、カラスマ……」
わずかに苦笑しながら、烏間は小さくホッとしたため息をついた。「気に入ったようなら何よりだ」
うううもうこの気持ち良さに全身包まれたい気分よぉおお、とだらしない声をあげるイリーナ。しかし、先程の不満に満ちた恨み声を聞くよりかはよほど快適そうで、烏間はようやく止まっていた報告書作成に手をつけることができた。
「ちっすー。ビッチせんせー、いる?」
「中村さんか。いるぞここに」
「どしたのぉ莉桜ー」
ふたたび烏間の叩く軽快なキーパンチ音が響き始めた教員室のドアを開け、莉桜がやってきた。はじめての冷えピタに感動した、だらしない表情のままのイリーナが応対する。
「あ、ビッチせんせー冷えピタ貼ってる」
「カラスマにもらったのー。これ初めて使ったけど超きもちいいのね……」
「あはは! 確かにこれ、クセになるよねー。わかるわかる」
おかしそうに笑ってから、莉桜はにやりとイリーナに笑いかけた。
「そんな暑さにやられてるビッチせんせーをお誘いに来たんだけどさ。うちら、これから自主訓練兼ねて、例のE組用プールでウォーターガンを使った狙撃訓練すんの。涼しいからビッチせんせーも来ない?」
「行く!」
がばりと身を起こしたイリーナの目はらんらんと輝いている。それを横目で見ていた烏間は、またわずかに苦笑した。
「烏間せんせーは……」
「魅力的なお誘いだが残念ながら仕事だ。イリーナ、いちおう教員として安全確認しろよ。あまり遅くなりすぎるな」
「わかってるわよーう。ねっねっ莉桜そのウォーターガン、あたしの分もあんの?」
「あるよぉ、ただしどんなタイプが当たるかは運次第」
「ふふ……見てなさいよ、プロの暗殺者の恐ろしさ、あんたたちに味わわせてあげるわっ」
「どうだかねー、うちのスナイパーコンビも参加すんだから、油断大敵だよぉ。つーわけで烏間せんせー、ビッチせんせー借りまぁす」
「水辺は滑りやすいから気をつけろよ。誰か怪我をしたらすぐにおれを呼べ」
「はーい。じゃあいってきまーす」
がらり、とふたたび扉が閉まり、玄関へと向かう二人の声が遠ざかる。えげつない強さのウォーターガンが1つあるとか、実は水風船も用意してあるからずぶ濡れになる危険もあるとか。プロをなめないでよ、と不敵に笑っているであろうイリーナの声が、最後に聞こえた。
ふ、とまた苦笑して、烏間はキーボードを叩き始めた。イリーナがあれだけ大口を叩いているなら、ぜったい生徒たちに裏をかかれて酷い目にあうオチが待っているだろうから、タオルを用意してやったほうがいいかもしれないな、と思いつつ。
「うわーんカラスマぁ、ガキどもがよってたかってあたしをいぢめるー!」
「……ドラえもんみたいにおれを呼ぶな」